良くいうわマスコミは軍部にくみし散々戦争を煽って金儲けした癖に、負けたら手のひら返しで共産主義者になった癖に信用できない。

日本が旧日本軍「失敗の本質」繰り返す悪弊の正体

旧日本軍の失敗を分析した『失敗の本質』著者の戸部良一氏(右)とアジア・パシフィック・イニシアティブ理事長の船橋洋一氏が語り合った連載。最終回です(撮影:尾形文繁)
コロナ禍の対応で迷走する日本。約40年にわたり読み継がれている名著『失敗の本質』で旧日本軍の失敗を分析した戸部良一氏と、独立系シンクタンク「アジア・パシフィック・イニシアティブ」(API)を率い、福島原発事故新型コロナウイルス感染症対策の民間調査を実施した船橋洋一氏が、日本の課題を4回にわたって話し合った短期集中連載。最終回をお届けする。

タコツボと化した巨大官庁

船橋 洋一(以下、船橋:前回はリーダーシップ論について伺いましたが、今回は最終回ということで、官僚制の問題から中央と地方の関係の課題、さらには日本の問題、課題というところに踏み込んでいきたいと思います。

【写真】『失敗の本質』共著者の1人である戸部良一さんなど

リーダーシップ論の中では、指導者と専門家の関係のあり方についても伺いましたが、戦前は専門家集団である軍部と政治指導者の対話や協力が、軍人の政治的成熟度という問題も含めてうまくいっていなかった、それが悲劇でした。今回のパンデミックでは、アドバイザーは感染症を専門とする科学者ということになりますが、官僚制の課題としては、感染症の危機管理を担当する厚生労働省です。

厚労省の予算は他の省庁と比べて突出して大きいが、人員は行革で削られてきています。ワクチン予防接種室は危機勃発の時、わずか10名ほどでした。組織ガバナンスがうまくいっていないことは、近年の政治スキャンダルの多くが厚労省がらみであることからもうかがえます。

国会でいつも叩かれる役回りなので、職員はどうしても守りの姿勢に傾き、攻めの行政ができない。規制官庁の殻に閉じこもり、時代の要請に応える前向きの産業政策を進めることができないんですね。

モンスターと化した厚労省が抱える最大の問題は、ひとことで言うと、それぞれの部署がタコツボとなってしまっていることです。橋本内閣の行政改革で旧厚生省と旧労働省を統合した役所ですから、厚生省系と労働省系があり、旧厚生省系では、年金・介護などを扱う“中枢”と感染症を扱う“傍流”、事務官系と医務技官系、さらに医系と薬剤系もあって非常に複雑です。たくさんの“村”があるのです。どうしても、全体の最適解ではなく司司の縄張りを守るための部分最適解を追求する体質となってしまっています。

それは、戦前の軍部の陸軍対海軍の関係においても指摘されていることで、軍人も専門家集団でありながら官僚的体質を持っていたわけですが、この辺りは、戦後、変化しているとみるべきなのか、それとも変わっていないところなのか、どうなのでしょう。

戸部 良一(以下、戸部):結果的に見ると、あまり変わってないということなのだと思います。ただ、橋本行革を見てもわかるとおり、いろいろな意味で、制度を変えようという発想はあります。必要以上に変えているという印象もなくはありませんが、とにかく組織や制度は変えようとしてきたけれど、それに人の発想がついていけず、行動が変わらない、ということではないかと思います。

それがなぜなのかを追求していくと、“日本的な文化”に逃げてしまいかねないといったところがありますね。

船橋:今回、政府と都道府県知事、そして1741の自治体の指揮命令系統がまったくできていないことが露呈しました。少しでも感染予防の対策の執行力を強めるため、政府は特措法を改正しましたが、政府が都道府県知事や自治体の長にお願いするやり方は基本的にはほとんど変わっていないと思います。

都道府県側は政府のお墨付き(財政支援)を得たいがため政府を先に動かしたい、政府は現場の個々の問題を都道府県側、さらには自治体側に”丸投げ“し、責任を回避したい、といった共棲関係にあるように見えます。ただ、これでは有事を乗り切れない。この背景には、分割管掌原則という明治憲法以来、変わらない日本の統治レガシーがあり、根は深いと思いますが、戦後、それに地方自治原則が加わり、さらに統治の遠心力が増幅したのだと思います。

戦後の日本は、占領軍が憲法の草案をつくったときも含めて、軍部への権力の集中が戦時ファッショの背景の1つだったとの反省から、地方分権地方自治を旨としてきました。ところが、地方自治といいながら、自立している地方政府は少ない。災害を含めて有事の際、自衛隊が動員されることは必至です。

東日本大震災福島原発事故の時も、結局、自衛隊が「最後の砦」でした。その場合でも、自衛隊、警察、消防といったファーストリスポンダーの間の指揮命令系統の構築と協同作業は難航し、「総合調整」というあいまいな形でしか対応できなかった。こうした統治の遠心力、なかでも中央と地方の関係の課題についてどのようにお考えですか。

戸部:地方と中央との関係と分権の問題は、もしかすると性質の違うことなのかもしれませんが、分権制にだけ着目して言うと、戦前も分権制ですから制度としては変わっていません。日本の中央の政治制度だけのことを申し上げると、権力をどこかに集中させる仕組みは、戦前からずっと作っていません。しかし、その仕組みがなくても、戦前には中央にそれを何とか動かすのだという意志がありました。戦後は、その意志もなくなってしまっているということだと思います。

スピード――日米の差

船橋:意志もない、ですか。官邸スタッフの一人が、日本の有事と国家統治の課題は、「地方自治と大学自治の2つ。これを言うと誰もが黙る。首相支配とか官邸支配とか買いかぶりだ」と言って苦笑していましたが……。

ところで、官僚制ともかかわる問題かもしれませんが、ワクチン接種では日本の政治のスピード感のなさが露呈しました。一方、アメリカは、mRNAを危機のさなかに間に合わせて生産、供給しましたし、ものすごいスピードでワクチン接種を実施しています。1日に400万人以上、接種した日もあるほどです。1年前、アメリカは惨憺たる状況でしたが、空気が一気に変わっています。アメリカの技術革新力とロジスティクス力の底力を見せつけられた形です。

戸部:日本はアメリカと戦争しましたが、開戦前の国力を比較すると1対10以上で、とにかく雲泥の差でした。最近アメリカの研究者に伺った話では、日本の鉄鋼生産量はピッツバーグのそれよりも低かったそうです。もちろん、国力に大差があることは軍部も知っていました。

戸部良一(とべ・りょういち)/防衛大学校名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。1948年宮城県生まれ。京都大学法学部卒業、同大学院法学研究科博士課程単位取得退学。博士(法学)。防衛大学校教授、国際日本文化研究センター教授、帝京大学教授などを歴任。著書に『ピース・フィーラー』(論創社吉田茂賞)、『自壊の病理』(日本経済新聞出版、アジア太平洋賞特別賞)などがある(撮影:尾形文繁)

しかし、軍部は国力が戦力に転換するまでには時間がかかると考えていました。確かに、鉄鋼はあっても艦船や航空機や武器を生産するには時間がかかります。その間に負けない体制を構築し、我慢の戦いを続けていれば、相手が戦意を消失するだろうというのが、開戦時の日本のプランだったのです。

ところが、アメリカが国力を戦力に転換するスピードは物凄く早かったのです。むしろ、日本のほうが遅いくらいでした。

船橋:それが今も続いているということですかね。日本の技術革新は、単発、単線、モノ、短期であって、エコ・システム、プラットフォーム、コト(概念)、長期へのウイングが広がらない。だから持続しません。

しかも、地経学の時代に入り、経済相互依存が武器化し、今回も、ワクチン・ナショナリズムが至る所で噴出しています。日本はまさにかつてズビグネフ・ブレジンスキーが形容した『ひ弱な花 日本』になりつつある。ここでも、アメリカとの彼我の差を改めて痛感するわけですが、日本のどこに課題があるとお考えですか。

考えないことで成功してしまった

戸部:1つには、戦後の日本が安全保障とその他の分野をあまりにも截然と区別してしまって、その関連性に目を瞑ってきてしまったので、そのツケが噴出しているということだと思います。最近になってようやく国家安全保障局に経済班ができたということで、今後は少し変わって行くのかもしれませんが、『失敗の本質』にことよせて言えば、これまでは、安全保障とその他のことを切り分けて、関連を考えないことでむしろ成功してきたのかもしれません。

官僚制の問題で、全体最適解ではなく、部分最適解を求めるというご指摘がありましたが、まさに、それぞれの分野で部分最適を追求していった結果、ものごとがうまく回ってきてしまったのではないでしょうか。役所もそうだったのかもしれません。これまでは。

船橋:戦後、自由で開かれた国際秩序を標榜しアメリカ主導で構築されたブレトンウッズ体制にしても、日米同盟にしてもそうですが、本来、日本自身が自分の問題として追求しなければならない国際秩序形成と安全保障政策構築を、いわばアメリカに“アウトソース”するような形ですませてきたきらいがあります。

この体制の下では、経済と安全保障を画然と分けて、それぞれの部分最適解を追求することもできました。しかし、中国の挑戦と米中の対立で自由で開かれた国際秩序が揺らぎ、しかも今回のパンデミックでそこに大きな亀裂が走っています。

米中は部分的なデカップリングへと向かっている。「デジタル敗戦」と「ワクチン敗戦」に見られる日本のイノベーション力の弱まりとガバナンスと国家統治の脆弱性は、深刻な設問をわれわれに投げかけていると思います。

船橋洋一(ふなばし・よういち)/1944年北京生まれ。東京大学教養学部卒業。1968年朝日新聞社入社。北京特派員、ワシントン特派員、アメリカ総局長、コラムニストを経て、2007年~2010年12月朝日新聞社主筆。現在は、現代日本が抱えるさまざまな問題をグローバルな文脈の中で分析し提言を続けるシンクタンクである財団法人アジア・パシフィック・イニシアティブの理事長。現代史の現場を鳥瞰する視点で描く数々のノンフィクションをものしているジャーナリストでもある(撮影:尾形文繁)

『失敗の本質』で最も重い指摘は、日本の中に潜む「適応が適応性を妨げる(Adaptation precludes adaptability.)」という過剰適応とそれによるレガシー(遺制)への幽囚です。戦後の経験と体制を完成形にしてしまい、そこから逃れられない。「永遠平時国家」から脱皮できない。

日米同盟を維持しつつ、アメリカから自律し、自ら国を守る。経済安全保障政策を確立する。有事の体制をつくるため、法制度を洗い直す。コロナ危機は、日本にそうした覚悟を求めているのだと思います。

戸部:ご指摘のとおりで、それがあの本のメッセージです。石原莞爾日露戦争に勝ったのは僥倖だと言っています。なかば偶然、幸運だと指摘しているんです。戦後の日本の発展も、本当は幸運だったのだと私は思います。

確かに、環境にうまく適応したという成功の部分もあるとは思いますが、それがいつまでも続くはずはないのに、幸運であったということを忘れてしまって、サクセスストーリーになってしまいましたから、学習棄却もできず、運がなくなったときのことも考えずにいました。

バブル経済の崩壊以降、何度か経済的な危機は味わっているはずなのに、その体質は依然として変わっていない。それが理解できないところでもあり、日本の抱える課題でもあるのだと思います。

イノベーションを取り込めない

船橋:コロナ対策では、近年イノベーションが著しいICTやAI技術を取り入れることにも失敗しています。中国はAI技術を駆使して雑踏から発熱している人を見つけ、追跡調査するということまでやっていましたが、日本では給付金の申請手続きでさえデジタル化できませんでした。規制のあり方や官庁のメンツの問題もあります。新しいものを取り入れるのは、それまでの対策が不十分だったことを認めることになるという受け止め方をする官僚がいるからです。

戦前の軍部はイノベーションをどのようなかたちで戦略や具体的な軍事作戦に取り入れていたのでしょうか。そこには今日の官僚機構に見られるような闘争や格闘はあったのでしょうか。

戸部:軍事の場合、まず敵が決まります。その後に戦い方を考え、作戦遂行のために必要な武器を開発し、訓練で修練するということになります。

日本軍の場合、最先端技術と、その他の技術との乖離という問題があったと思います。例えば、ゼロ戦は当時の最先端技術の粋を集めた戦闘機ですが、ゼロ戦の初飛行の際、名古屋の三菱で作ったゼロ戦岐阜県各務原の陸軍の飛行場まで牛車に引かせて運んでいました。つまり、戦闘機という一点では最先端を行っても、最先端の技術がシステム化され、他分野にまで連動することはありませんでした。ですから、イノベーションは一部に留まるということだったのだと思います。

船橋山本五十六は航空力を重視し、パールハーバーの奇襲作戦でも攻撃機が主役を務めましたが、それはシステムとしては組み込まれていなかったということですか。やはり、大艦巨砲主義ですか。

戸部日本海軍では、真珠湾攻撃大艦巨砲主義が否定されたわけではなかったと思います。飛行機を使うことはそれ以前からやっていました。ただし、補助兵器ですから、制空権を握ったら、あとは大艦巨砲で敵艦隊を攻撃するという考え方です。

ところが、日米開戦後、途中でアメリカの戦い方が空母主体、つまり航空機による攻撃を主体とする戦い方に変わっていったときに、日本にはそれに対抗して、航空機主体の戦いに切り替えようと思っても、それに応える戦力がありませんでした。とくに、パイロットの養成が追いつきませんでした。陸軍も航空戦の重要性に気付きますが、すでに制空権はありませんし、パイロットもいませんでした。

船橋パイロットがいない。

戸部:はい。ですから、航空戦を重視して戦い続けるとすれば、特攻に頼るしかなかったのです。

同じ失敗を繰り返さない

船橋:最後になりましたが『失敗の本質』をお書きになった経緯を伺います。日本軍の失敗を検証されているわけですが、敗戦後、日本は占領されていましたから、政府にはその検証ができませんでした。本来なら、占領終了後の最初の国会で特別委員会を作って検証すべきでしたが、国会もそれをしませんでした。結果、検証は個々の研究者に委ねるということになりましたが、さまざまな研究の中で、『失敗の本質』が初めて、組織論も含めて、どこに失敗の原因があったのかという問題に切り込んだ、マイルストーンのような仕事だったと思います。

戸部さんが『失敗の本質』をお書きになったのは弱冠36歳になる年のことです。なぜ、こんなに素晴らしい本が書けたのでしょうか。

戸部:序文にも書きましたが、共著者は全員、名前もない研究費もない私的な研究会のメンバーです。防衛大学校で戦史の教育に携わっていた自衛官の杉之尾孝生さんが研究会の言い出しっぺです。

最初は、危機における国家の意思決定や情報の処理の分析をテーマとしていましたが、途中で行き詰ってしまい、日本の戦史を社会科学的に見直して、敗北の実態を明らかにしようということで、方向転換したんです。ちょうど1980年代で「ジャパン・アズ・ナンバー1」と言われた日本がいちばんいい時でしたが、こんなことが続くはずはないという思いが、特にリーダー役の野中郁次郎先生には強く、組織論的に日本軍の失敗を示し、危機が訪れた際の参考にしてほしいという思いがありました。

しかし、できたのは、やはり若かったからだと思います。年長の野中先生でさえ40代で、私はまだ30代半ばでした。怖いもの知らずで、本当に誰もやっていないことをやってやろうという意識はありました。さまざまな分野の研究者が結集して、学際的に日本軍の失敗を検証し、それを社会に示して還元していくという先例を作りたいという思いもありました。この国がまた同じ失敗を繰り返すことがあってはならないという強い思いでした。

船橋:研究会に結集した若い共著者の皆さんのその熱意が、40年にわたり読み継がれる大ベストセラーを生んだのですね。ありがとうございました。


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